9時から16時迄開館しております。
令和6年9月30日(月)の午前中は展示替えのため臨時休館致します。
午後1時半より開館予定となりますので何卒ご了承ください。
現在保存されている刀剣は31口で、そのうち国宝1口・重要文化財14口・ 重要美術品1口があります。これらは、当社が徳川幕府の産土神とされた性格上、歴代の将軍及びその世嗣たちが初宮詣で、または自身が将軍宣下の奉告参拝、さらに篤志の崇敬の下に社参されたときに神前に奉納されたものです。
この太刀は、正保三年六月六日徳川徳松君の初宮参りの折に寄進されたもので、徳松君は三代将軍家光公の第四子で、のちの五代将軍綱吉公である。則宗は鎌倉初期の刀工で福岡一文字派の祖であり、後鳥羽院御番鍛冶の 一人である。福岡一文字というのは、備前国福岡に在住したからの称呼で、細身の腰反りの高い上品な姿は平安時代の趣を伝え、小丁子に小乱という古雅な出来である。
「則宗」現存はすこぶる稀でありこの太刀はその白眉である。附属太刀拵は江戸初期の製作である。
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この太刀は延宝九年六月十五日将軍綱吉公が将軍宣下の初めての祭礼にあたって奉納されたもので、附属太刀拵は江戸中期の製作である。
国綱は山城国粟田口派の刀工で、その兄国友・久国等は後鳥羽院御番鍛冶に列せられている。国綱は鎌倉幕府の要請によって鎌倉に移住し、相州鍛冶の開拓者となった。
この太刀は宝暦十年十月六日徳川家治公が将軍宣下の奉告参拝の折奉納されたもので、付属太刀拵は江戸中期の製作である。
師景は備前長船派の刀工であり、俗に小反備前と称せられる南北朝期の作である。この刃文を魚の目と云い、この時代に流行を見る。従来師光と伝えられていたが、「光」ではなく「景」である。
当社は徳川幕府の直轄神社であった関係上、家康以降歴代の将軍が朱印状をもって神領を寄進し当社の維持運営に寄与されました。
徳川家康の時代に城内に5石、秀忠の時代に100石、そして家光に至り600石に加増された神領は、そのままに幕末まで至りました。
武蔵国麻生(布)郷に百石、多末郡(多摩郡)堀之内村に百九十七石余、阿佐ケ谷村に百八十七石余、天沼村に百十九石余。
江戸時代中期の画家である英一蝶(本名・多賀信香)は、市井の風俗を描く人気絵師でした。小品が多い一蝶の作品の中で、屏風絵の作品は珍しく、貴重な名品です。